1.労働基準行政のエキスパートとして

 

1961年(昭和36年) 東京・下町生まれ。

 

1885年(昭和60年)4月~1998年(平成10年)3月

 

 第一線の労働基準監督官として13年間4府県7つの労働基準監督署に勤務し、事業所に対して労務管理や労働安全衛生管理の指導等を行いました。

 

(勤務場所:大阪西労働基準監督署(大阪労働基準局)、羽曳野労働基準監督署(同)、横浜南労働基準監督署(神奈川労働基準局)、相模原労働基準監督署(同)、飯塚労働基準監督署(福岡労働基準局)、島原労働基準監督署(長崎労働基準局)、佐世保労働基準監督署(同))

 

1998年(平成10年)4月~2001年(平成13年)3月

 

 労働省(2001年1月からは厚生労働省)本省において3年間勤務し、第一線では経験できない全国を対象とした業務を担当しました。

 

(勤務場所:労働省労働基準局労災保険業務室、労働省労働基準局賃金時間部賃金課)

 

2001年(平成13年)4月~2018年(平成30年)3月

 

 17年間で9県の都道府県労働局労働基準部の幹部(部長及び課長)として勤務し、各県の労働基準行政の責任者として総合調整を行いました。

 

(勤務場所:鳥取労働局労働基準部安全衛生課長、和歌山労働局労働基準部監督課長、熊本労働局労働基準部監督課長、福岡労働局労働基準部安全課長、兵庫労働局労働基準部監督課長、大分労働局労働基準部長、佐賀労働局労働基準部長、宮崎労働局労働基準部長、熊本労働局労働基準部長)

 

 

 2.ミニラグビー(小学生以下のラグビー)の指導員として

 

 

 2006年から現在に至るまで、長崎中央ラグビースクールの指導員として、毎週土日の午前中は子供たちと走り回っています。3年前からは事務局総務担当となり、グランドの内外でスクールを支えています。

 

  

今も昔もバカが付くほどのラグビー好きの私、2019年のラグビーワールドカップ日本大会にかこつけて、車のナンバーは「20-19」、事務所の電話番号の末尾も「2019」です。

 

 

3 八幡町青年団末席として

 

 

2014年の踊町だった八幡町に三女が囃子として参加し、江戸っ子で祭り好きの私も裏方として精いっぱいお手伝いさせていただきました。次回踊町の2021年、「60歳の根曳」を密かに目指し、トレーニングに励んでいます。

 

事務所を八幡町に構えたのも、もちろん八幡町が大好きだからです。